海洋プラスチック研究最前線:3.プラスチックの生物への影響を遺伝子レベルで調べる
分子生物学の視点
マイクロプラスチックが自然界の生物に侵入していることやマイクロプラスチックと一緒に有害物質も取り込むことが野外調査や実験で解明されている。生体内に入ったマイクロプラスチック,それに付着した有害物質は,いったいどういう影響を及ぼすのか。分子海洋生物学の視点からプラスチックが海洋生物の生体に及ぼす影響を調べようと,東京大学大気海洋研究所の井上広滋教授らの研究グループが,実験,解析を進めている。
分子生物学の視点とは何か。前置きが長くなるが,少し説明をしたい。
遺伝子(Gene)の塩基配列を読み出すシーケンサー(配列解読装置)は近年,解読能力を急激に上げた。このため,生物の全遺伝子(ゲノム)を短時間,低コストで読み込めるようになり,現在は解読よりも,解読結果である遺伝子情報の解析が重要になってきている。この分野は「バイオインフォマティクス(bioinformatics)」と言われている。生物学(Biology)と情報学(Informatics)を合体した分野だ。
遺伝情報はDNA(デオキシリボ核酸)の塩基配列に存在する。DNAは,生命のからだを作るタンパク質を合成したり,生体内の化学反応を促進させる酵素など,さまざまな機能を持ったタンパク質を作ったりする生命の「設計図」である。
タンパク質は,DNAにある遺伝情報を,mRNA(メッセンジャー・リボ核酸)がコピーし,それをもとに生体内で作られる。生体の「応答」(何らかの刺激に対する反応)としては,<DNA→転写(mRNAの発現。DNAの遺伝情報がmRNAの塩基配列に写し取られる)→翻訳(mRNAからタンパク質の発現。mRNAの塩基配列がアミノ酸配列に変換される)→タンパク質合成)>と記述できる。これは,遺伝情報が常にこの過程の順に伝達されることから,「セントラルドグマ」(中心的な教義)と呼ばれている(図を参照)。
井上教授は「東南アジアに広く分布するメダカの一種であるジャワメダカ(写真)と,ムール貝の仲間であるイガイ類を使い,マイクロプラスチックに対して,生体内のmRNAがどう応答するかを調べている。ただ,その結果をより深く理解するために,ゲノム全体の遺伝子も解読,解析している」と説明する。
どうしてジャワメダカなのか。(1)ニホンメダカに近い種で,扱いやすい(2)東南アジアに広く分布し,入手が簡単である(3)海水を好み,海水魚のモデルとなる(4)脊椎動物であり,人に近い―ことだという。
イガイ類は,ミドリイガイ(中国,東南アジアでよく食べられている),ムラサキイガイ(一般にムール貝として知られ,欧米でよく食べられる),シチヨウシンカイヒバリガイ(浅海に生息するミドリイガイやムラサキイガイと違って深海に生息する)を選んだ。なぜか。(1)淡水や海水,深海など広く分布し,バイオマス(生物量)が大きい(かたまって生息しており,一度に採れる量が多い)(2)岩場などに付着し,移動が少ない。また,有害物質が付きやすく,汚染されていた場合,汚染箇所が特定しやすい(3)濾過食者(濾過作用で水中のプランクトン類を食べる生物)であり,海中のマイクロプラスチックを吸い込みやすい,からとしている。
イガイ類のゲノム解析が進む
この研究では最初に研究対象となる生物の遺伝子を解読していくというが,ゲノム解読の対象種は,ジャワメダカとミドリイガイ,シチヨウシンカイヒバリガイだ。どうしてムラサキイガイは解読対象ではないのか。井上教授は「ムラサキイガイのゲノム解読は行われ,すでに論文になっている。論文の内容は十分とは言えないが,私たちの研究ではムラサキイガイの遺伝子情報を調べない方針だ」と話す。
遺伝子の解析手順はこうだ。ゲノム配列は極めて長い。DNAを断片化し,それぞれの短い断片の塩基配列を解読する。次に,その情報をもとにコンピューターでつなぎ合わせる(「アセンブリ」という)。その後,つなぎ合わせた配列のどこにどんな遺伝子があるのかを予測していく(「遺伝子予測」という)。
井上教授は「ミドリイガイについては,遺伝子予測のための情報(mRNAの配列情報など)がたくさんあるので,予測された遺伝子をさらに検証し,特徴などを解析するところまで進んでいる。シチヨウシンカイヒバリガイは,ある程度の遺伝子予測ができるまでに至っているが,十分とまではいっていない」と説明する。
ムラサキイガイにマイクロプラスチックを曝露
ムラサキイガイについては,マイクロプラスチックの取り込み度合いを調べる実験を行った。実験室で,マイクロプラスチック(ビーズ)を「曝露」させた。ビーズの大きさは3サイズ(1,10,90μm:1 µmは1000分の1 mm)だった。
グラフの通り,ムラサキイガイが糞と一緒に排出したビーズを調べたところ,比較的大きなビーズ(10,90μm)は,排出するまでに時間はかかるものの,ほぼすべてのビーズが排出された。一方,小さいビーズ(1μm)はほとんどが早い段階で排出されたものの,いくつかはいつまでも残っていた。ただ,どの部位に残っているのかは正確にはわからないとしている。
ノックアウト・ジャワメダカ
他方,同じ研究チームに入っている東京農業工業大学の高田秀重教授らが,PCBを吸着させた数10~150μmのマイクロプラスチック(ビーズ)を使って曝露実験を行い,PCBがムラサキイガイの生殖腺へ移行することを明らかにした。そして,この曝露によって,ムラサキイガイの遺伝子の発現状態に変化があるかを,東京大学大気海洋研究所で解析している。
ジャワメダカの研究段階について,井上教授は「ゲノム編集をして,重要な薬物代謝酵素であるCYP1A遺伝子をノックアウト(破壊)したジャワメダカを作っているところだ。来年度には,ノックアウト型と普通型のジャワメダカで,イガイ類などと同様の曝露実験を行いたい。これで,CYP1Aがマイクロプラスチックや有害物質に対してどのような働きをしているのかを調べるつもりだ」と語る。
井上教授は,生体へのマイクロプラスチックの影響を調べるにあたってCYP1Aに注目する理由をこう説明する。CYP1Aは,シトクロムP450と呼ばれる酵素のグループの一つで,生体内の有害物質を分解する。主に有機有害物質,とくに多環芳香族炭化水素(PAHs)の分解に関与することが知られている。生体の外部から有機有害物質が侵入すると,この酵素が,最初に作用することで,その後の分解反応を活性化する。CYP1Aは有機有害物質の分解の主役となる酵素と言える。
マイクロプラスチックが,またマイクロプラスチックに付着する有害物質が,生体に侵入し,どういう影響を与えるのか。それが分子レベルで解明されようとしている。
※写真,グラフは井上広滋教授提供。
(文責 三島勇)