出版物の紹介:『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン著)
『センス・オブ・ワンダー』
(レイチェル・カーソン著,上遠恵子訳,新潮社,1400円+税)
この本は,農薬(化学物質)による自然破壊を告発した『沈黙の春』を著した海洋生物学者レイチェル・カーソンが,ガンに侵されながら書いた,「子どもたち」への「遺産」である。詩情豊かな文章で,人間と自然とのつながりの深さと意義を静かに語っている。子どもたちだけでなく,大人が読んでも,大人と子どもが一緒に読んでも,心が洗われるような静謐な時間を楽しめるだろう。コロナ禍で生活が大きく制限される中,「楽しみ」とは何かを考えるきっかけにもなり,海や森林などの自然がいかに人生に彩り,深みを与えてくれるものであるということも気づかせてくれる。
カーソンは,姪の息子であるロジャーと米メイン州の海岸の近くにある別荘で過ごした実体験をもとに,自然の楽しみ方や奥深さを描きながら,人間存在を圧倒する自然の神秘さが人間に与える影響を考察する。カーソンが淡々と描く自然描写を読んでいると,人工的な施設や催し物に出かけなくても,身近な場所の自然を十分に楽しめることを再認識した。
雨の降る暗闇の海岸で聞く海のうなり声,強風の吹く砂浜での夜のカニ探し,満月が海を銀色の炎に包み海岸の岩に埋まる雲母のかけらを照らす光景,雨の森で鮮やかな緑色や銀色に輝く地衣類や苔類,引き潮時に広がる海辺で吸う空気の匂い,太陽が顔を出す前の鳥たちの声,夜の庭の虫のオーケストラ音... 視覚や聴覚,嗅覚に訴える自然はカーソンとロジャーを包み込み,ロジャーの幼い心に,カーソンの記憶に,多様な自然が刻み込まれていく。
ロジャーのような子どもたちの世界は生き生きとして新鮮で美しく,驚きと感激にみちあふれているが,わたしたちの多くは,子どもたちのような澄み切った洞察力や美しいもの,畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ,あるいは失ってしまう,とカーソンは指摘したうえでこう記す。
「もしもわたしが,すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら,世界中の子どもに,生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は,やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅,わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること,つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する,かわらぬ解毒剤になるのです。」(23ページ)
また,カーソンは,どのようにして子どもを教育すべきか悩んでいる親にアドバイスする。「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要でない。「感じる」ことが,やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら,情緒や感受性はその種子をはぐくむ肥沃な土壌である。幼いときは,この土壌を耕すときだとしている。自然が身近にない? カーソンは言う。空を見あげれば夜明けや黄昏の美しさがある。流れる雲,夜空にまたたく星がある。森を吹き渡る風もあれば,家のひさしやアパートの角でヒューヒューという風のコーラスもある。公園などで鳥の渡りを見て,季節の移ろいを感じこともできる。小さな植木鉢にまかれた一粒の種子が芽をだし成長していく植物の神秘を教えてくれる。
「地球の美しさ」について思いをめぐらせる人は,生命が尽きるまで生き生きとした精神力をたもちつづけることができるとするカーソンは,最後にこう語りかける。
「自然にふれるという終わりのないよろこびは,けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空,そして,そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。」(54ページ)
本著は,メイン州で撮られたカーソンの別荘や自然の写真が散りばめられた60ページの小さな本だ。ただ,語られる内容は,現代文明への警鐘であり,未来への道標でもあり,とても重い。後世が自然からよろこびを授かれるように人類が作り出した人工物による地球汚染を防いでいく。これは現世代の責務である。しかも急がないといけない。カーソンもそう思っているだろう。
(文責:三島勇)