ギンザケの急性死は自動車タイヤ由来の化学物質が引き起こしている?~アメリカの研究者らが高い可能性を指摘
アメリカ北西太平洋のギンザケが,繁殖のために都市部の小川に遡上した際,嵐による雨水に曝されて原因不明の大量死に至る事象が毎年,発生している。ワシントン大学の研究者らのチームが,この現象を詳細に調べた結果,自動車のタイヤに添加されている酸化防止剤から変成した毒性の高い生成物を見つけた。この研究成果は科学誌「Science」(2021年1月8日)に発表された。ギンザケなどの水生生物を守るには,毒性のある生成物のコントロールや「グリーン・ケミストリー(緑の化学)」で作られた代用品(環境に優しい酸化防止剤)の普及とともに,規制と処理計画が必要と指摘している。
研究チームは,アメリカ西海岸の主要道路の雨水と激しい風雨の影響を受けた小川の水を過去にさかのぼり分析した。その結果,酸化防止剤の変成物である「6PPDキノン」(致死濃度(中央値)0.8±0.16㎍/L)が広く見つかった(0.3~19㎍/L)。酸化防止剤「6PPD」はギンザケへの毒性が示されなかったものの,6PPDが環境中で変成した「6PPDキノン」には高い毒性があることがわかった。
この成果は,わたしたちが普段疑いもなく「安全・安心」と思って利用している物品に含まれている物質が,環境中(自然界)で変成し,ギンザケといった海洋生物に悪影響を与えるという「知られざるリスク」を明らかにした。さらに,自動車タイヤに含まれる一般的に毒性が低いと考えられている物質が,設計・製造段階で気づきにくい経緯から,高い毒性を持つ物質に変成していく可能性の高いことも示した。化学物質については,製造・設計段階のみならず,物品の使用や再使用,再利用,廃棄などの幅広い期間にわたって,注意を払うよう求めている。
遡上するサケが次々と死んでいく
この研究のきっかけは何だったのか。
北西太平洋のギンザケに起きているここ数十年の急性死現象は,市街地周辺で汚染水が生物にさまざまな悪影響を与える("都市河川症候群")の代表例として挙げられている。この急性死現象は,"都市雨水死亡症候群"(URMS:Urban runoff mortality syndrome)と言われ,毎年,淡水域で産卵するために回帰する成魚のギンザケが,激しい風雨で河川に大量の雨水が流れ込む際に発生している。広大な不浸透舗装に覆われた市街地から雨水が流入する地域では,回帰したギンザケの40~90%が産卵前に死亡しているとみられている。URMSは劣化した水質や都市化,過密交通量と関係していることが知られていたが,死の原因毒物は,一つあるいは複数か未知か,がわかっていなかった。
チームは以前,URMSに関係する水に,道路雨水とタイヤトレッド摩耗粒子(TWP:tread wear particles)浸出液と似たような化学組成の物質が含まれていたと報告した。今回の研究では,複合的な毒性同定評価と影響度を重点にした分析を使い,実験で幼魚を用いて死を招いた「潜在物」を求めてTWP浸出液を調べた。都市雨水には様々な化学物質が混在する。それらの中から原因物質を見つけ出すために,様々に実験条件の設定を変えて高速液体クロマトグラフィーに高解像度質量分析計を組み合わせた大型の分析機器(UPLC-HRMS)を使い分析精製作業を繰り返し,核磁気共鳴(NMR)によって構造決定することで,酸化防止剤由来の化学物質が主たる原因有毒物質であることを突き止めた。道路雨水と河川流入水(receiving water)では,環境中で検出された毒性物質の濃度は,URMSの発生時にはギンザケの急性死の閾値をしばしば超えており,この現象は西海岸に広がっていた。
毒物候補を絞り込む
具体的にはどう調べていったのか。容疑者を突き止めていく警察小説のような面もあり,少し詳しく論文に沿って記したい。
TWA浸出液の水溶液ストック(1000mg/L)は,計9個の新品・中古タイヤのトレッド粒子と同じ量を含む混合物から作られた。TWP浸出液(250mg/L)は,幼魚のギンザケに対し,強く,素早い致死性があった。TWA浸出液への曝露による行動症候(回転,水面呼吸,平衡喪失)は実地観察で見られた症状と同じだった。浸出液以外の成分は同じ溶液での対照群では死ぬ幼魚はなかった。
混合物の複雑さ(UPLC-HRMSでイオン化された多様な検出物が計測される。プラスイオンの「ESI+」とマイナスイオンの「ESI-」がある)は毒物同定の障害となった。なぜなら250mg/LのTWA浸出液は一般に2000を超える「ESI+」を含んでいたからだ。この中から原因物質を絞り込む作業にチームは2年余り費やした。
さらに,混合物や混合液などから目的の物質を分離・精製する装置で作製されたカラムから,イオン交換器など3種類の分析装置を使って,毒性に関与しない物質を乗り除いた。これによって10分画に分かれた混合物のうちの1分画だけに毒性が確認され,この1分画からさらに不要物質を取り除き,毒物候補として計11の可塑剤や酸化防止剤,乳化剤,それに多様な変成物を選別した。このなかには,いくつかの既知の環境汚染物質と,ほとんど知られていない物質が含まれていた。しかしながら,同定した物質に幼魚のギンザケを曝露する実験を何度繰り返しても,どの化学物質でもURMSの症状が再現されず,死亡にも至らなかった。「毒物候補」物質を同定する際には十分に調査し尽された環境科学論文をもとにしているため,URMSを引き起こしているのは「未知の毒物」ではないかとチームは考えた。
「未知の毒物」を突き止める
未知の毒物を探し求めて,分析を重ねたとチームはいう。
構造的に違う2つのカラム相を使った,別の分離・精製装置を追加して使用した。それぞれのカラム相から毒性分画ができ,それらから4つの「ESI+」と3つの「ESI-」のHRMS物質が見つかった。これらのうち未知の物質(「C18H22N2O2」)が検出ピーク面積を占めた。3次元クロマトグラフィーの処理手順を変えて,不純物を除いた最終分画も,化学的にシンプル(4つの「ESI+」と3つの「ESI-」)で,高い致死性があり,「C18H22N2O2」が支配的だった。乾燥させるとピンクマジェンタ色の沈殿物が産出された。
毒性物質は「C18H22N2O2」?
タイヤゴム片と河川流入水についての従来の研究では,「C18H22N2O2」は言及されていなかった。「C18H22N2O2」は,環境関係論文や化学物質のデータベースではわからず,同定が課題となった。チームはこれを変成物ではないかと仮定した。なぜなら,工業的な製造工程(高熱あるいは高圧,触媒など)と環境系での多様な反応から,数多くの未知の変成物が生み出されているからだ。
環境中で発生する変成物が,炭素と窒素に関与する水素と酸素の数を選択的に変更する「活性官能基」に変化をもたせている。そう想定すると突破口が見つかった。米環境保護庁(EPA)が破片となったゴムについて報告しているが,「C18H24N酸化防止剤"6PPD"」の特徴といくつか一致した。第一に,6PPDは乗用自動車・商業用自動車のタイヤの配合物(質量で0.4~2%)として多く使われている。6PPDが,広大かつ地理的に異なる河川流入域内で観察されたギンザケの急死を解明する重要な物質であることを示唆する。ただ,6PPDはTWP浸出液に存在するが,陽イオン交換で完全に取り除かれる。しかし,6PPDの結晶は紫色で,分画後に得られたピンクマジェンタ色の沈殿物に似ている。興味深いことに,6PPDと質量分析装置の分析で得た「C18H22N2O2」のスペクトルが合致するなどした。オゾンによる6PPDの反応についての工業化学を詳説した文献には「C18H22N2O2」の産生が記述されていた。したがって,6PPDが毒物前駆体であると仮定することにした。
この仮説を工業用等級6PPDの気相オゾン分解で検証した。「C18H22N2O2」のUPLC-HRMS分析では,合成「C18H22N2O2」とTWA浸出液から分離された「C18H22N2O2」の滞留時間とスペクトルが完全にマッチした。精製するとオゾン合成「C18H22N2O2」から紅紫色の沈殿物ができた。NMRの構造分析では,TWA浸出液由来でオゾンによって合成された「C18H22N2O2」と構造が同一だった。NMRのスペクトルとシミュレーションで,単離した第三級炭素原子(他の炭素原子3個と結合している炭素原子)とカルボニル基(炭素原子1個と酸素原子1個が結合)の存在が示された。このことから「C18H22N2O2」の「キノン」(カルボニル化合物の一種で,芳香族炭化水素のベンゼン環に結合している水素原子2個をそれぞれ酸素原子で置換した化合物)構造であることがわかった。よって,「C18H22N2O2」の毒物候補は"6PPDキノン"であるとした。
オゾン合成6PPDキノンとタイヤ浸出液由来6PPDキノンの曝露実験では,いずれでもギンザケが急死した。合成6PPDキノン曝露で起きた行動症状は,野外観察や道路雨水,大量のTWA浸出液,最終的なTWA分離物の曝露によるものと合致した。合成6PPDキノンを使った対照投与実験の結果,6PPDキノンは幼魚のギンザケに高い毒性(致死濃度(中央値)0.79±0.16㎍/L)を示した。対照投与実験の曝露推定値は大量の道路雨水とTWA浸出液の曝露推定値(同0.82±0.27㎍/L)にほぼ一致した。したがって,6PPDキノンが複合毒性の主要な原因であった。
「未知の毒物」は6PPDキノン
実験室だけではなく,自然環境でも同じことが言えるのだろうか。
道路雨水と河川流入水の保管標本抽出物の6PPDキノンの量を調べたところ,シアトル地区の道路雨水(16標本すべて)から0.8~19㎍/Lの6PPDキノンが検出された。URMSの大きな影響を受ける3つのシアトル地区の流域に7つの嵐が襲来した期間には,6PPDキノンが0.3~3.2㎍/L発生していた。6PPDキノンは嵐の前と後の標本では検出されなかったが,強い雨の発生中には濃度が致死量(中央値)に近いかあるいは超えていた。また,ロサンゼルス地区の道路雨水の2標本すべてから4.1~6.1㎍/L,サンフランシスコ地区の都市雨水の影響を受けた小川の10標本のうちの4標本から1.0~3.5㎍/L,それぞれ検出された。
これらのデータから,6PPDが嵐の雨水に結び付いた,ギンザケ急死の最重要な毒物である可能性が示された。製品の寿命期間,酸化防止剤(PPD類やTMQ類(テトラメチルシラン:有機ケイ素化合物),フェノール類など)は,タイヤゴムの表面に拡散し,地表面の空気中にあるオゾンなど高い反応性の酸化物を素早く吸収し,ゴムにとって構造的に重要な弾性体をオゾンによる酸化から防ぐ防護膜を作る。タイヤゴムに添加されている6PPDも同様で,反応によって6PPDキノンを生成するよう設計されているのだ。そして,生成された6PPDキノンなどは環境中へと拡散していく。6PPDのオゾン防止剤(酸化防止剤)は,環境に対する意図せざる,しかも劇的な悪影響をもたらす。それは,道路雨水の毒性を増加させ,さらには毒性が高く移動しやすい6PPDキノンによって,環境が受けるリスクを,思いがけなく,しかし劇的に高めることだ。
タイヤゴムに含まれている6PPDが汎用性と質量分率(0.4~2%)が高く,また米西海岸で典型的に検出される物質(致死量中央値に近いか超える値の物を多く含む)であるという事実からすれば,ギンザケのような敏感な動物種の毒性に関わる濃度の6PPDキノンは,都市周辺の暴風雨水や道路雨水に広く存在しているだろうとチームは見ている。
年間31億本のタイヤ生産
世界では14億台以上ある自動車用に年間最大で31億本のタイヤが生産されている。この結果,タイヤゴム粒子の年間放出量は1台当たり平均0.81kgになる。TWAは淡水に流れ込む量が多いマイクロプラスチックの一つである。つまり,タイヤゴムの2~45%が降雨流出域に流れ込み,TWAが淡水堆積物に最大約6 g/kg蓄積される計算になる。
最近強まるマイクロプラスチックへの懸念を裏付けるように,6PPDキノンは,マイクロプラスチック汚染とその関連化学物質の毒性リスクについての非常に強い構造的関係を示した。6PPDキノンの発生と末路,環境中の輸送に関する不確実性が数多いものの,これまで示したデータでは次のことを示唆する。水域と堆積物に存在する環境TWA残留物は毒性に関係がありうる。また,環境系における既存のTWAの蓄積と浸出,毒性の各アセスメントは明らかに不十分である。タイヤゴムの廃棄も,世界的に重大な物質的問題であり,6PPDキノンとほかのタイヤ由来変成物の潜在的な有力発生源である。たとえば,人工芝競技場でクラムラバー(粉々にしたタイヤゴム)として再利用されているスクラップゴムを考えても,人間と生態系がこのような化学物質に曝露されていることがわかる。よって,こうした曝露の人間の健康への影響を評価する必要がある。
タイヤゴム細片はマイクロプラスチック汚染
6PPDキノンの環境放出は特に,交通量の多い渋滞道路に近い場所での河川流入水に密接に関係する。ギンザケが特異的に敏感であるとは思えない。ほかの水生動物種に対する6PPD変成物の毒性を評価すべきだろう。たとえば,中古タイヤは,新品タイヤに比べ,ニジマスへの毒性が高かった。このことは,変成物を媒介とした有害な結果と矛盾していない。ギンザケなどの水生生物保護のために6PPDキノン放出の管理が必要であるとすれば,発生源の管理や"グリーン・ケミストリー"の代用品(毒性がないことが証明され,環境にやさしい酸化防止剤)とともに,状況に応じた規制と処理計画が考えられる。大まかに言えば,環境に広く放出されることを前提とした,生産量の多い商業的化学物質の変成物については,いっそう注意深い毒性アセスメントを行うことを推奨する,としている。
自動車は,日本などの先進国のみならず,発展目覚ましい途上国でも,生活,産業になくてはならないものであることは論を俟たない。わたしは,公共交通機関がほぼ機能していない地方に住んでいる。日常生活の移動手段としては,できるだけ自転車や徒歩と考えているが,自宅から5~8キロ離れているスーパーマーケットやJRの駅に行くには自動車を使っている。ドライブもする。車の生活上の価値は十分認識しているが,この研究成果を知ると,さらに車を使わない生活を模索するしかないと思うようになった。
タイヤゴムの詳細成分は「ブラックボックス」
日本のあるタイヤメーカーに「6PPDなどの酸化防止剤をどのくらい使っているか」などといった質問をしたが,「公表できない」と言われた。どのメーカーも公表していないということだった。
一般社団法人「日本自動車タイヤ協会」のサイトに「タイヤ原材料消費」がある。ゴムや補強材,配合剤などの基本構成が示されている。配合剤の中に「老化防止剤」とあるものが「酸化防止剤」と思われるが,化学物質名も構成比などの具体的な内容は記されていない。いわば「ブラックボックス」である。
普段使っている自動車のタイヤが何でできているのか,何を含んでいるのか,を知ることができない。タイヤを構成する物質が生物に悪影響を与える強い可能性が指摘されているのに,その物質を知らないまま放出しているのかと思うと,いささか,いや結構,居心地が悪い。わたしたち市民は,二酸化炭素の排出もそうだが,できる限り車を使わないようにするしか方法はないのだろうか。タイヤメーカーには環境に負荷を与える/与える恐れのある化学物質を使わないタイヤの開発を進めてもらいたい。"自動車立国"の日本の行政にも,タイヤ成分の開示などをメーカーに求める仕組みを作るなど,"環境立国"へもう一歩踏み出してもらいたい。
(文責:三島勇)
一般社団法人「日本自動車タイヤ協会」のサイト:
「タイヤ原材料消費」(https://www.jatma.or.jp/tyre_industry/rmconsumption.html)