Columns & Reportsコラム・レポート

2020.11.18

環境と持続性を考える -2-:国外の情勢(1) 「人間環境宣言」と「成長の限界」

 今日,欧米諸国が先行しているように見えるプラスチック問題への対策であるが,欧米諸国がこうした対策を行うにあたってその立案のもとになる考え方を育んできた背景を考えていきたい。そのためには欧米諸国がこれまでどのように環境問題に向き合ってきたのかを知ることが大切だ。ここでしばらくプラスチック問題から離れ,欧米諸国で発生した環境問題について数回に分けて見ていく。

 今日の環境問題を考えるときのキーワードは「持続可能性」である。欧米ではこのワードのもとで,環境問題への解決策としてそれまで触れられなかった「企業の社会的責任」さらには現在の「ESG投資」(*1)が織り込まれていった。政策一辺倒ではなく経済面を含めた社会全体のシステムを模索した結果として,経済活動の果たすべき役割にまで遡求したわけだが,これは経済がグローバル化して,環境問題が国境をたやすく越えるなかで,多国間で利害関係者が協調することでともに利益のある包括的な解決策の立案に早い時期から対峙した結果と考えられる。欧州の場合,ほとんどの国が陸続きであるという立地も考え方の風土としてあるだろう。

 欧州における環境問題の始まりは「大気汚染」と考えれられる。イギリスで起こった産業革命以後,1800年代後半にはロンドンで深刻化し,1900年代に入ると欧米の環境問題として都市部の大気汚染は深刻であった。すでに1965年頃から世界保健機構(WHO)はロンドンに代表される都市部の大気汚染の情報を集めるとともに,独自にモニタリングデータ解析を開始した(*2)。

 北欧では1950年代から湖沼の魚がいなくなったり樹木が立ち枯れる現象が発生し,1970年代にはドイツやチェコにも同様な立ち枯れが拡大。スウェーデンの土壌学者オーデンは,1967年にヨーロッパの降雨のpH分布を示し,原因が「酸性雨」によると結論した。スウェーデンは酸性雨の主な原因がイギリスなどからの大気汚染物質による越境汚染であるとしたが,越境汚染は自国だけでは解決できない。このことが1972年にスウェーデンが第1回国連人間環境会議の自国開催を推進する原動力になったとされる(*3)。

 産業活動の活発化広域化によって,石油の海上輸送中の事故や意図的・非意図的漏出による環境や生態系への「油濁」の影響も問題視されるようになってきていた。そのため1954年には,海洋油濁防止条約(*4)が締結された。本条約後も1967年にイギリス南西岸沖で遭難した大型タンカー,トリー・キャニオン号からの大量な油流出で英仏両岸の広範囲が被害にあった。

 1962年には,殺虫剤のDDT(dichloro-diphenyl-trichloro-ethane)などをはじめとする「化学物質による汚染(以後,,化学汚染)」がレイチェル・カーソンの「沈黙の春」(*5)の出版によって知られるようになった。その後,様々な化学汚染が1980年代にかけて頻発した。1960年代後半,化学的に安定で電気を通しにくいため電気の絶縁油や熱媒体などで産業的に重宝されていたポリ塩化ビフェニール(PCB)に有害性が明らかになったことから,経済協力開発機構(OECD)は1972年の理事会で,一部の用途を除きPCBの使用禁止を決議した。また,1976年になると,オランダでゴミ焼却場の排ガスからダイオキシンが検出された。ダイオキシンは発ガン性の高い物質で,有機塩素を含むプラスチックを不完全燃焼するとダイオキシンが発生することが知られている。

成長の限界.jpg これらは総じて残留性有機汚染物質と呼ばれ,特徴としては,自然界で安定であり,脂質に親和的で生物体内に長く留まること,蒸発などで環境中を長距離移動が可能なため発生源から離れた極域の生物からも検出されることである。そうした危険性から,後にストックホルム条約(2001年)によって国際的な規制の対象となった(*6)。1978年,米国・ニューヨーク州のカナダとの国境を接するナイアガラの滝近くで発生したラブ・キャナル事件では,運河にダイオキシンやトリクロロエチレンなどの有害化学物質が大量投棄され埋め立てられた土地に住宅や小学校が建設されて,やがて地下水や土壌の化学汚染によって小学校が一時閉鎖,住民の一部が強制疎開となり一帯は立ち入りを規制される事態が生じた。また,1975年には,カナダ・オンタリオ州で水銀汚染(オンタリオ水俣病)が確認された(*7)。

 人間の経済活動によって生じた地球環境問題は様々な形で,社会活動や経済活動にマイナスの影響を顕在化させた。1972年,ローマクラブはレポート「成長の限界」(*8)で,人間活動は行き過ぎた成長と環境の限界とによって悲劇的結末を意識せざるをえない時期にあることから,経済活動に一定の歯止めが必要であり,成長を続ければ地球環境の破局を迎えると結論づけた。

 同じ年,ストックホルムで開催された「国連人間環境会議」で環境問題が初めて世界的議題として取り上げられたことから,1972年という年は環境問題というものが各国の政策に影響を与えた年であった。

 この会議のテーマは「かけがえのない地球」。「人間環境の保全と向上に関して,世界の人々を励まし,導くため共通の見解と原則」が必要であるとの考えから「人間環境宣言」(*9)が発表された。宣言では,「我々は歴史の転換点に達した。」としており,世界中で環境への影響に一層の思慮深い注意を払いながら行動しなければならないこと,また,開発途上国では環境問題の大部分が低開発から生じていること,先進工業国と開発途上国の格差が深刻化したことから,環境上の目標を達成するために全てのレベルで責任を引き受け,共通な努力を公平に分担することの必要性を説いた。そして開発途上国が責任を遂行するための財政支援が国際的に必要であり,共通の利益のための国家間の広範囲な協力と国際機関による行動が必要である。その上で,国連人間環境会議は,各国政府と国民に対し,人類とその子孫のため,人間環境の保全と改善を目指して,共通の努力をすることを要請した。

 宣言の原則となる共通の信念は多岐に渡るが主なものを挙げる。

  ・現在および将来世代のため,環境を保護し改善する義務
  ・大気,水,大地,生態系の構成者を含む地球上の天然資源の保護
  ・再生可能な資源を生み出す地球の能力維持,回復,向上への義務
  ・野生生物とその生息する自然の保護
  ・非再生可能な資源の将来的枯渇への備えと,使用における人間平等な方法での利用
  ・有害物質の排出規制
  ・海洋汚染の防止
  ・途上国への環境保護支援
  ・開発計画における合理的な資源管理と人間環境保護との両立
  ・基本的人権を害することのない人口政策
  ・環境教育の促進
  ・環境技術の研究と開発
  ・国内外における管轄権の範囲を超えた地域の環境に損害を与えない措置の履行義務
  ・核兵器その他の大量破壊兵器の除去と完全な破棄 など

 宣言の主たる考え方は,後に1992年に行われた地球環境サミットで再認識されるとともに,いくつかの点についてはより具体的な行動へとつながっていくことになる。なお,共通の信念を実現するために,国連決議の「人間環境のための行動計画」の勧告を受けて,国連環境計画(UNEP)が設置された。

 この1972年前後から欧米では環境NGOの活動が活発化し,そのいくつかは今日も活動している。例えばグリーンピース(1971年設立),Ocean Conservancy(1972年設立)などである。こうしたNGOの活動は,一部ではベトナム戦争という社会状況の波及が推測されるが,何れにしても,1972年は環境が初めて世界的関心事になった年である。

 なお,環境への意識の高まりという意味では,1961年の旧ソ連の有人宇宙飛行や,会議開催前の1969年に成功した米国アポロ計画による月面着陸で,地球を宇宙空間から眺めて沸き起こった「宇宙船地球号」という感覚は,地球環境を考えるのに十分な動機付けになったと考えらえる。繰り返しになるが,国境を越える環境問題は国境や州境を陸で接している欧州を中心に欧米諸国においては深刻かつ身近なものになっていて,その危機感が第1回国連人間環境会議の開催で広く共有されたと考えられる。1972年にプラスチックによる海洋汚染の警鐘が鳴らされたことは(すなわち「海洋プラスチック汚染元年」となったことは),環境問題が世界的な課題になり始めた時と一にしており,これは偶然ではなかったといえる。

(文責:野村英明)

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注*)
  1. 会社の社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility): 社会から利益を得ている企業が,社会の一員として,「自主的に」社会に果たす責任のこと。一方的に利潤を得るフリーライダー的存在への批判の意味が込められている。
    ESG投資: 環境(ENVIRONMENT ),社会(Social),企業統治を意味するガバナンス(Governance)の要素を考慮した上での投資。国連環境計画・金融イニシアティブが2006年に「責任投資原則(PRI:Principles for Responsible Investment)」の中で,持続可能なグローバル金融システムの達成を目指して提唱した。
    責任投資原則の概要: https://www.unpri.org/download?ac=10971(2020年11月16日閲覧)
  2. 後に,1972年に設立された国連環境計画と協力して継続。
    田辺潔(1994): GEMS/Airと世界の都市大気汚染の状況.大気汚染学会誌,29,A66-A73.
  3. 酸性雨: ガソリンやディーゼルを動力とする自動車や,工場からの排気ガスに含まれる硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)などの酸化物質が雨や霧,雪に溶けて地表に降り注ぐ降水。この降水は通常より強い酸性を示すことで,河川や湖沼の水あるいは土壌を酸性化して生物を住めなくしたりする。そればかりかコンクリートを溶かしたり,金属を酸化させるため,文化財に被害をもたらすことも知られている。
    小沢徳太郎(1995): スウェーデンから見た酸性雨問題.環境技術,24, 14-19.
    原宏(2009): 酸性雨研究の里程標. 大気環境学会誌, 44, 355-356.
  4. 海洋油濁防止条約: 油による海洋汚濁の防止に関する国際条約。1954年に締結され,1958年に発効した。船舶の油汚濁は,欧米では早くから問題となっており,経済成長と工業化の進展で石油の海上輸送が増えたことから,国際的な規制が進んだ。
    千葉博(1970): 1954年の油による海水の汚濁の防止のための国際条約の改正について.日本船用機関学会誌, 5, 363-371.
     なお,度重なる油流出事故,タンカーの大型化、有害液体物質の海上輸送が増えるに伴い,より包括的な規制が必要となり,1973年には国際海洋汚染防止条約(通称,マルポール条約)が採択された。その後,1989年にはアメリカ・アラスカで起こったエクソン・バルディス号座礁事故による原油の大量流出事故が契機となり,国際海事機関(IMO)によって大規模流出事故への国際協力の枠組みを定めたOPRC条約(International convention on oil pollution preparedness , response and co-operation ,1990)が締結。1992年にはマルポール条約が改正され,タンカーの構造強化が強制されるようになった。
  5. 5) 沈黙の春: 「沈黙の春〜生と死の妙薬〜」は書籍紹介を参照ください。https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2020/08/post-10.html (2020年8月12日閲覧)
  6. PCBダイオキシン: PCB(ポリ塩化ビフェニール:polychlorinated biphenyl)の表記が複数形(PCBs)で書かれている場合がある。これはPCBの構造上,塩素の数や位置によって200程度の異性体が存在することで,それらの総称として複数形を用いている場合である。扁平構造を持つ異性体には,毒性がより高いコプラナーPCBといわれる一群があり,これらをダイオキシンあるいはダイオキシン類に含まれる。PCBは半揮発性の物質で,わずかな揮発・漏洩であっても環境中で安定なため長く残存する。ダイオキシン(dioxin)は,有機塩素化合物の一種であるポリ塩化ジベンゾ-パラ-ジオキシン(PCDD: polychlorinated dibenzo-p-dioxin)を略していう。ただし,「ダイオキシン類」という表記がされる場合,PCDD、ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)、コプラナーPCBをあわせていう。いずれも多くの構造異性体を持つ。
    高橋真・田辺信介(2017): PCBによる地球環境汚染と今後の課題. 廃棄物資源循環学会誌, 28, 99-111.
     これらのPCBやダイオキシンなどは残留性有機汚染物質(POPs: Persistent Organic Pollutants)に区分される。1992年,ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで行われた国連環境開発会議(地球環境サミット)で採択されたアジェンダ21の中で,合成有機化合物による海洋汚染への対策が盛り込まれた。そこで規制や適正管理について政府間協議が重ねられ,2001年,スウェーデンのストックホルムで「残留有機汚染物質に関するストックホルム条約」が採択された(2004年発効)。
  7. オンタリオ水俣病
    原田正純・花田昌宣・田尻雅美・井上ゆかり・堀田宣之・藤野糺・高岡滋・上田啓司(2011): カナダ・オンタリオ州先住民地区における水銀汚染-カナダ水俣病の35年間-. 水俣学研究, No. 3, 3-31.
  8. 成長の限界: 地球システムの限界と人口や人間活動への制約を予測するために,マサチューセッツ工科大学のプロジェクトチームにローマクラブが依頼して製作したレポート。数値計算によって環境の許容範囲や資源などの成長の障害となる要因,現実的長期的目標のモデル化を目指した。ローマクラブによるこの試み,すなわち数値計算は多くの不確定な要因や未解明な相互関係など,定量化できない要素が多く含まれた上での結果であると認めつつも,大切な点をいくつも指摘している。
     「人口増加と経済活動がこのまま継続すれば,幾何級数的に成長することで100年以内に悲劇的な結末を迎える。人口圧力は現時点では臨界点に達していないが近づきつつある。人口は偏在し最適人口水準があるわけではないので,物質的な豊かさや個人の自由などの要素をバランスさせ均衡あるシステムへの移行が求められる。」「世界の均衡を実現するためには世界の努力,国際的な行動と共同の長期計画が必要である。そのためには社会を成長という目標から均衡という目標に方向転換するための理解力と想像力を働かせる必要がある。そのためには政府間の折衝を制約なしに議論する討論の場を設けることを促進したい。」と述べている。本報告書の重要なことは,そもそも資源や浄化能力といった人類が依存せざるをえない総体としての地球が有限であって,これまで無限であるかのように考えていたことを大きく改める必要があることに気づかせた点だった。
    「成長の限界 ローマクラブ「人類危機」レポート(DHメドウズ,DLメドウズ,Jラーンダズ,WWバランズ3世著,大来佐武郎監訳)」,ダイヤモンド社,1972年,203 pp.
     翌1973年に,いき過ぎた経済性の追求に疑問を投げかけたエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハの著書「スモール・イズ・ビューティフル」(現在,1986年発行の講談社学術文庫(小島慶三・酒井懋訳)が入手可能)も話題となった。
  9. 人間環境宣言: 環境省による和訳
    https://www.env.go.jp/council/21kankyo-k/y210-02/ref_03.pdf(2020/9/24閲覧)