環境と持続可能性を考える -11-:プラスチック問題に関する日本の動向 (1) プラスチック系廃棄物の処理と環境問題意識
「プラスチック汚染元年」ともいえる1972年は,世界が持続可能な社会を目指し始めた時期にあたる。1980年の米国政府の特別調査報告書「2000年の地球に関する大統領への報告書」(1980年)をみると(1),環境情報が重要な外交戦略の手段であると読み取ることができる。1992年には最初の地球環境サミットがリオ・デ・ジャネイロで開催され,生物多様性保全や温暖化ガス削減に向けた進展があった(2)。その後の歩みは決して順調なものではなかったが,2010年前後から国連環境計画(UNEP)はグリーン経済の実現に向けて活動を活発化させ,2012年の地球サミット「リオ+20」の成果文書にグリーン経済の促進が織り込まれた(3)。欧米ではこのころプラスチック製品を利用することへの本格的な検証が始まっていた(4-6)。そして2015年にはSDGsターゲットへと展開した(7)。
欧州では排ガスの越境汚染による酸性雨という環境問題に対峙してきた過去があり(8),また,旧植民地であったアフリカ諸国への廃棄物輸出が問題視され,バーゼル条約が締結されるなど(2),公害と環境問題を一体として扱い,その経験を国連という場でルールづくりに役立てている。日本で「環境問題」というものへの認識はどうであったのだろうか。廃棄物あるいはプラスチックの扱いについて,日本ではどう対応してきたのか。日本と欧米ではスタンスが異なっている。
<日本における廃棄物処理に関わる環境問題の捉え方>
日本の産業活動が活発化し,急成長していく中では公害が頻発した。公害問題は,有機水銀化合物,カドミウムあるいは煤煙などの主に有害物質の排出が原因となっていた。1970年の臨時国会(いわゆる"公害国会")では公害関連法規の制定や改正が行われた。当時,日本では環境問題といえば公害であり,その対応は排出の規制,抑制であった。こうした工業廃水や排気ガスなどによる公害問題は,徐々に市民が自分の生活環境への関心に改めて目を向ける機会を作り出したともいえる。
学校教科書での環境関連の記述が有害化学物質による汚染と赤潮に象徴される水質の汚濁を取り上げていることからもわかるように,これまでの日本の環境問題は広い意味で汚染/汚濁の公害問題だった。つまり日本では,プラスチック系廃棄物に関しても,公害で培われた視座が反映し,排出抑制に重点を置いた技術開発や対処方法が考えられてきた。一方,欧米諸国が環境問題を人権にも関わる福利(well-being)の問題として対峙していた。欧米,特に国境を接する欧州においては環境問題に対して多国間での対処を大切にせざるを得なかったのに対し,日本が島国であったこともこうした捉え方の遠因と考えることができる。プラスチック汚染は「ごみ問題」にとどまらず,様々な影響波及が生じる環境問題という認識が必要だ。
<大量消費社会のはじまり>
日本では1955-1973年の経済の高度成長期,モータリゼーションや家電製品の普及に代表される大量消費が始まり,大量廃棄が常態化した。1950年代に入って小売店が総合的品揃えを行うようになり,多店舗展開を行なった。総合スーパーの出現である(9-11)。1960年に「所得倍増計画」が策定されてからは目に見えて産業活動が活発化した。
相前後して1958年になると,石油化学コンビナートが稼働を開始。プラスチックの生産量は1950年に2万トン程度であったが,1960年に55万トン,1970年には513万トンに急増した。プラスチックが生活の中に本格的に浸透し始めた(12)。プラスチックの増加には生活様式の変化,すなわち都市部では一人世帯が著しく増加したり,共働きといったことから,廃棄物に資源化や自家消費が困難になったことで,一人当たりごみ量が多くなってきたなかで,使い棄てプラスチックの使用が増えたこと,また,こうした生活様式の世帯が拡大する首都圏で定着していったことが考えられる。
<東京都の「ごみ戦争」>
1900年の汚物掃除法および1954年の同法の廃止後を継いだ清掃法においてもごみを「汚物(あるいは特殊な汚物)」として扱い,その処理方法は原則として焼却であった(13)。
区部の年度別ごみ処理総量は1948年度に23万トンだったが(14),第二次大戦後,東京都ではごみは増加の一途であった(15)。高度成長期にごみは急増し,その中でのプラスチックの割合は1968年頃に1割程度であったものが1973年には25%を占めるようになるなど,東京都はごみの急増と質の変化に従来の焼却処理を前提とした方針を続けてきた。しかし,処理場計画地の周りに集合住宅が建設されたり,道路の敷設が計画的になされず,土地の取得ができなくなるなど,処理場建設は計画通りには進まなかった。ごみ処理が都市計画の中で一体的に位置付けられていなかったためと考えられる。このように区部への人口集中によるごみ急増に対して,都市の基幹的施設の整備が対応できないという,経済成長と都市行政とのアンバランスが生じた(15)。大量消費社会に入った日本では産業廃棄物や家庭ごみの増加が,場合によっては不法投棄につながった(16,17)。
増え続けるごみに対して,国はごみの適正処理を目指して1970年には「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法あるいは廃掃法)」を制定し,発生抑制を図った。一方で,区部のごみは江東区時先の海面埋め立てに依存せざるを得ない状況に置かれており,しわ寄せを受ける江東区議会がごみの受け入れ反対を決議。これが1971年9月28日東京都議会での美濃部都知事による「ごみ戦争」の宣言の発端となった(15)。美濃部都知事は「ごみ戦争対策は分別収集しかない」とし,ごみ減量化の一環として,1973年に東京都江戸川区の一部地域で分別収集が試験的に実施された(18)。
ごみの増加はピーク時の1979年度には629万トンだったが,その後1983年度まで減少に転じた。しかし,バブル景気(19)による消費や生産活動の拡大により廃棄物が増加したが,1990年度には608万トンに増加した後減少に転じ,2003年には46万トンとなった(14)。1990年以後,廃棄物処理手数料の改定や事業系ごみ全面有料化といった経済手法により,区部のごみは減少したと考えられる(14)。
なお,東京都はごみの最終処分地としては区部海面の埋め立てに頼らざるを得ない。当初,ごみの全てが焼却処理されてはいなかった。焼却処理していないごみも埋め立てに回されるため,最終処分場の容量残余年数は減少した。ごみ戦争宣言後,杉並清掃工場が稼働し,様々な減量政策が行われ,中央防波堤内外の最終処分場が造成されてきた(14)。その後,可燃ごみの全量焼却体制も整ってきた。それでも焼却灰を埋め立てる区部海面最終処分場の拡大には限りがあり,延命した今も終わりに向けて時を刻んでいる。
<「廃棄物をいかに処分するか」という発想>
東京都区部では,かさばりマテリアルリサイクルに向かない廃プラスチックを可燃ごみと共に発電や給湯の燃料として焼却する,いわゆるサーマルリサイクル(20)を推進することを決め,2009年から開始した。加えて,国の都市再生プロジェクトの一環として,廃プラスチックを燃料とする民間事業者主体による発電事業(ガス化溶融炉発電施設)を推進した(14)。
日本は平野がせまく,山間部で廃棄物を埋め立てるには水源対策などの様々な対策を講じる必要がある。その一方で経済活動は活発で,特に製造業が盛んな日本においては様々な原材料を海外から輸入している。こうした事情もあり,国内で生じる廃棄物は常に減量を迫られる。また,自然災害が多いため,廃棄物の焼却処分は日本では自然な感覚であるとも言える。1900年の汚物掃除法以来,ごみ処理の基本が焼却であったこともあり,ごみは燃やすのは自然な発想だったと考えられる。こうしたことから,これまでの廃棄物政策自体が公害対策と同じ感覚で,排出抑制を中心とした出口戦略になっていて,その発想から抜け出せ切れていなかった。
ところが冒頭で述べたように,1980年代後半から欧米,特に欧州においては廃棄物を削減することから廃棄物を資源にするというように意識が移り変わっていた(2-6)。遅ればせながら日本においても,2000年には,循環型社会形成に向けた法整備に本腰を入れ始めた。
日本では,1970年代に廃棄物処理施設への補助金制度により国が後押ししたことで,全国にごみの焼却施設が建設された(16)。そのため,それらの施設は更新され今日も稼働している。ただ,現実には,地方自治体の財政逼迫,人口減少という資金と人の両面から,例えば,施設の老朽化への対応や,人手不足などによるごみの回収,処理が困難な状況も生じている。今後は,効率的な廃棄物の資源化技術の推進とともに,低密度人口地域でいかに効率的に廃棄物を収集するか,資源化する事業者が経済的に成り立たせるかなど,多くの課題に向き合っていかなければならない。
(文責:野村英明)
注*)
- 2000年の地球に関する大統領への報告書: 原文名「The global 2000 report to the president: entering the twenty-first century」という。ちなみに,生物多様性を環境問題として扱った報告はこれが最初と考えられる。
原文はアメリカ政府印刷局:
https://www.govinfo.gov/content/pkg/CZIC-hc79-e5-g59-1980b-v-2/html/CZIC-hc79-e5-g59-1980b-v-2.htm(2023年12月19日閲覧)
西暦2000年の地球~アメリカ合衆国政府特別調査報告~(アメリカ合衆国政府編),1. 人口・資源・食糧編,2. 環境編,逸見謙三・立花一雄監訳,家の光協会,1981,1982年.
「環境問題をプラスチックから考えてみる -3-:国外の情勢2 「2000年の地球に関する大統領への報告書」から「持続可能な開発」へ」参照。
https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2021/01/--3-22000.html - 環境と持続性を考える -4-:国外の情勢 (3) 「地球環境サミット」から「ミレニアム開発目標」「持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言」
https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2021/09/4-3.html - 環境と持続性を考える -5-:国外の情勢 (4) リオ+20「我々の望む未来」からポストMDGsへ
https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2022/01/5-420mdgs.html - 環境と持続可能性を考える -7-:国外の情勢 (6) 国際的に法的拘束力のあるプラスチック規制にむけて(1)
https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2023/05/--7--61.html - 環境と持続可能性を考える -8-:国外の情勢 (7) 国際的に法的拘束力のあるプラスチック規制にむけて(2)
https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2023/06/--8--7-2.html - 環境と持続可能性を考える -9-:国外の情勢 (8) 国際的に法的拘束力のあるプラスチック規制にむけて(3)
https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2023/07/--9--8-3.html - 環境と持続可能性を考える -10-:国外の情勢 (9) プラスチック問題とSDGs
https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2023/08/--10--9sdgs.html - 環境と持続性を考える -2-:国外の情勢1 「人間環境宣言」と「成長の限界」
https://fsi-mp.aori.u-tokyo.ac.jp/2020/11/--2-1.html - 平野隆(2005):日本における小売業態の変遷と消費社会の変容. 三田商学研究, 48, 165-185.
- 佐藤正晴(2016):スーパーマーケットの誕生に関する社会学的考察─メディアとの関係性を中心に─. 明治学院大学社会学・社会福祉学研究, 146, 1-21.
- 戸田裕美子(2022):日本における総合スーパーの史的変遷とGMS概念の再解釈. 明治大学国際日本学研究, 15, 27-46.
- 重化学工業通信社・石油化学新報編集部(2019):海洋プラごみ問題解決への道~日本型モデルの提案~. 重化学工業通信社, 東京, 287 pp.
- 寄本勝美(2003):リサイクル社会への道.岩波書店,207 pp.
ちなみに,ごみを「汚物」からかわって「廃棄物」というようになったのは,1970年の「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」制定以後とされる。 - 村松修次・野村英明(2011):1.5首都圏のゴミ問題と最終処分場 - 東京都の取り組みを中心に. 「東京湾:人と自然の関わりの再生(東京湾海洋環境研究委員会編)」, 恒星社厚生閣, 35-44.
- 石井明男(2006):東京ゴミ戦争はなぜ起こったのか - その一考察 -. 廃棄物学会誌, 17, 340-348.
- 環境省(2014):日本の廃棄物処理の歴史と現状.環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部企画課循環型社会推進室
https://www.env.go.jp/recycle/circul/venous_industry/ja/history.pdf(2020年7月20日閲覧) - 菊地通雅・大石修・髙梨秀一・原雄(2015):廃棄物アーカイブシリーズ/『ゴミ戦争』の記録 第4回:千葉県の不法投棄40年. 廃棄物資源循環学会誌, 26, 411-415.
- 羅歓鎮(2019): 日本位おける一般ゴミ分別収集システムの導入過程--ゴミ分別収集を試みている中国の視点から--.東京経済大学会誌,No. 301,239-255.
なお,ごみの分別回収の本格導入は1975年に開始した沼津市とされ,その後全国に広がった。 - バブル景気: 1985年,ニューヨークで行われた先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会合において,通貨のドル安によるアメリカの貿易赤字を減らすことが合意され(プラザ合意),急速な円高が進行。実体を伴わない高い地価や株価の状況が1991年初旬まで続いた。この経済実体を伴わない好景気をいう。
- サーマルリサイクル:熱回収(thermal recovery)あるいはエネルギー回収(energy recovery)ということもある。「サーマルリサイクル」は和製英語。日本では主に熱エネルギーの燃料として使用していることからリサイクルの一環として捉えていた。しかし,製品として再利用するわけではなく,国際的には「ただの焼却処理」と扱われる。当初,日本はリサイクル率に含めて発表していたが,近年では国際的に認められていないことから扱いを変えた。また,発電や給湯などの燃料としては依然として焼却しているが,そのことをサーマルリサイクルと呼ばなくなってきた。